睡眠スコア94点でも疲れている理由|数値と体験の間にある感覚の余白

スマートウォッチの睡眠スコア表示と数値では測れない感覚の余白を表現したミニマルなイラスト

朝、Apple Watchを見ると睡眠スコア94点。

内訳を見れば、睡眠時間46点、就寝時刻の一貫性30点、睡眠中断18点。昨夜の眠りは「非常に高い」と評価された。

数値は「非常に高い」と告げているのに、体はまだ疲れを感じている。このズレは、何を意味しているのだろう?

夢の内容も、目覚めた瞬間の心地よさも、数値には現れにくい。前日の出来事が心に残っていたことも、季節の変わり目の微妙な体調の変化も、スコアでは拾いきれない領域である。

現代の私たちは、多くの数値に囲まれて生きている。睡眠スコア、歩数、心拍数、生産性指標、SNSのエンゲージメント。測定できるものは、次々と可視化されていく。

目次

数値が教えてくれること

数値には、確かな価値があると思う。

Apple Watchの睡眠スコアは、私の眠りを3つの要素で評価する。睡眠時間(最大50点)、就寝時刻の一貫性(最大30点)、睡眠中断(最大20点)。合計100点満点である。

94点という数値が教えてくれるのは、「昨夜は十分な睡眠時間を確保し、規則的な時刻に眠り、夜中の覚醒も少なかった」という客観的な記録。

数値の強みは、比較可能性にある。昨日と今日を比べられている。先週と今週を並べられる。改善の指標として、数値は役立ってくれている。

私も実際、スコアが70点台だった日を振り返ると、就寝時刻が遅かったり、何度も目が覚めたりしていたことに気づく。数値は、自分では意識しにくい習慣のズレを、静かに教えてくれる。

数値が測りきれないもの

ただ、数値にも届かない領域があると感じている。

同じ94点でも、体感は日によって異なる。「スコアは良いのに、なんだか疲れている」日もあれば、「80点台だけど、目覚めがすっきりしている」日もある。

測定しにくいものは、意外と数多い。

夢の内容。目覚めた瞬間の質感。心の充足度。前日の出来事が与えた影響。季節の変化。窓から差し込む朝日の角度。隣で眠る人の温もり。

数値は、複雑な体験を「切り取った断面」として示してくれはする。それは事実の一部を照らすが、全体を映しきるものではないのかもしれない。そして、その「全体」こそが、私たちが実際に生きている本当の価値体験なのだろう。

測定と体験の「間」にある余白感覚

では、数値をどう受け取ればいいのだろうか?

数値は終点ではなく、起点になっていると私は気づいている。

Apple Watchが示す睡眠スコアは、「バロメーター」として機能している。スコアを見て、私は自分の生活を振り返る。「なぜ今日は低かったのだろう?」と問う。その問いから、気づきが生まれる。

この「問う余白」が、数値と体験を結んでいるように思う。

数値と感覚が完全に一致している日は、実はあまり何も考えない。「94点で体調も良い」なら、それで終わりだ。

けれど、数値と感覚にズレがある日こそ、私たちは立ち止まる。「なぜだろう?」と問う。そのズレが、自分の状態を振り返る契機になる。

ズレは、不具合ではなく、ある意味、マインドフルネスで言う気づきの入口なのかもしれない。

数値は、完全な答えを提示するというより、問いを始めるための手がかりを提供してくれる。そこから先は、私自身が考え、解釈し、意味を見出していくことに面白さを感じる。

測定と体験の間には、余白がある。その余白に、私たちの主体性が宿るのかもしれない。

AIとの共創における「数値と余白」

この構造は、AIとの関わり方にも重なって見えてくる。

AIは、測定し、分析し、数値を示す。ChatGPTに文章を分析してもらえば、統計データが返ってくるし、Claudeに可視化を依頼すれば、グラフが生成される。

それらは「答え」というより、「対話のための素材」として機能している。

例えば、私がClaudeに「このブログ記事の文体を分析して」と依頼したとする。Claudeは、文の長さ、接続詞の使用頻度、段落構成などを数値化してくれる。

その数値を見て、今度は私自身に問い直す。「なぜこの部分は短い文が続いているのだろう?」「この接続詞の多用は、読みやすさに影響しているだろうか?」

そして、再びClaudeに問いかける。「この段落を、もっと緩急をつけて書き直してみて」。Claudeが提案を返す。それを見て、再び私は考える。

この往還が、AIとの共創の一つのカタチである。

AIの提案と自分の感覚にズレがあるとき、そこから新しい対話が始まる。完全に一致しないことが、かえって思考を深めるきっかけとなっている。

測れるもの、測れないもの、その間にあるもの

数値と共に生きることは、おそらく悪いことではない。

ただ、数値だけに頼りすぎることもまた、何かを見落とすかもしれない。

大切なのは、その「間」に立つことではないだろうか。

測定と体験の余白に、自分自身の解釈を置くこと。数値が示す事実と、自分が感じる体験の両方を、手のひらに載せて、眺めること。

Apple Watchが告げる「94点」は、私の眠りを完全には語らない。

しかし、その数値を起点に、私は自分の生活を問い直している。そして、その問いの先に、より良い眠りへの気づきが生まれていくのだと。


※本記事は筆者の実体験を中心に構成しています。

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