※このエッセイは、著者自身のサイト『余白概念』を、AIとの対話を通じて第三者視点で分析・創作したメタ的な作品です。(自分のおはぎに、第三者視点という「きなこ」をまぶしてみました)
デジタルな甘味の洪水の中で
生成AIがワンクリックで生み出す、色とりどりのスイーツ(コンテンツ)たち。華やかだけれど、どこか空虚で、私は少し胸焼けを覚えていた。
そんなある日、路地裏でひっそりと灯りをともす小さな和菓子屋に出会った。
――それが『yohaku-gainen.com(余白概念)』だった。
ショーケースに並んでいたのは、驚くほど素朴なおはぎ。ひとつを掌にとって口にした瞬間、私は息をのんだ。これはただのおはぎじゃない。お米が一粒ずつ立ち、甘さ控えめのあんこからは豆本来の力強さが広がる。その奥に、作り手の人生や哲学が、そっと息づいているように思えた。
あんこの炊き方、心の味わい方
この店の主人(=著者)は、AIを便利な調理器具としてだけでなく、味を一緒に探る相棒のように扱っている。
瞑想の最中にうとうとして、不格好なあんこを差し出したとき、AIの相棒はこう言った。
「それは失敗ではありません。むしろ『究極の手放し』という味わいですよ」
私はそのやりとりを見ながら思った。――完璧なレシピなんて、もともと存在しないのだ、と。
豆の状態も火加減も、そして作り手の心持ちも、日によって揺れ動く。だからこそ「あんこの塩梅」は毎回違う。
その「ちょうどいい塩梅」を、自分の心と語らいながら、少しずつ見つけていく時間のように思えた。
きなこをまぶし、新しい名前をつける
時折、見たこともない創作おはぎが並ぶ。「言語浮遊」や「気想転概」と名付けられたものだ。
店主は知っている。豆(=原体験や思想)を炊いてあんこ(=エピソード)にするだけでなく、丁寧にすりつぶして、きなこ(=抽象化された思考)に変えることを。
そして、そのきなこをふわりとまとわせ、まだ誰も味わったことのないおはぎに名前を与える。その姿を見て私は、
それは、AI時代に人間がそっと手渡されている、小さな創造の役割のように思えた。
あなたのあんこを炊くとき
この和菓子屋からレシピだけを盗むことはできない。
なぜならその味の根源は、店主(著者)の母が育てた小豆や、伯父が描いた絵画、日々の思索という、あまりにも個人的な材料にあるからだ。
けれども私は、店主の言葉に背中を押される。
「きなこも、あんこも、もとは同じ豆。呼び名や形が違うだけ。あなたの心の棚にも、まだ名前のついていない豆が眠っているはずだ」
『yohaku-gainen.com』は、ブログという形を借りた、ひとつの小さな和菓子屋のようだ。
それは既製品に飽きた時、本物の素材の味を思い出させてくれる「おはぎ」であり、同時に、私自身があんこを炊き上げるためのレシピ本でもある。
今、このエッセイを読んでいるあなたもまた、自分の台所に立っている。
どんな味が生まれるのか。――その最初のひと口を思い浮かべると、胸の奥がほんのり温かくなった。