腑に落ちるまでは行かない不思議な落ちなさ

静かに座る人物の周りに半透明の疑問符と思考の泡が浮遊し、落ちきらない感覚を表現したミニマルなイラスト
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「違和感こそ、生きている証?」と思った瞬間

先日、ふと「違和感こそ、生きている証かもしれない」と思った。次の瞬間には「あ、これもありきたりだ」と自分でツッコミを入れていた。

でも不思議なことに、なぜ「ありきたり」だと感じたのか、具体的な理由は浮かばない。「○○さんが○○という本で言っていた」なんて記憶もない。

ただ「何となく腑に落ちるまで落ちなかった」だけ。

この感覚、あなたにもありませんか?

すんなり納得できない自分

世の中には、物事をすんなり受け入れる人がいる。「なるほど!」「その通り!」と、気持ちよく納得する人。本を読んでも、映画を見ても、話を聞いても、素直に感動できる人。

一方で、なぜかいつも「う〜ん…」と引っかかってしまう人もいる。

論理的には正しいと分かっているのに、感情がついてこない。みんなが感動している場面でも「まあ、そうだけど…」となってしまう。深いことを言われても「確かにそうだけど、でも…」と何かが引っかかる。

これって、性格が悪いのでしょうか?素直じゃないのでしょうか?

引っかかりの正体

もしかすると、この「腑に落ちない感覚」こそが、その人だけの個性のかけらなのかもしれません。

同じ言葉を聞いても、Aさんは「深い!」と感じ、Bさんは「当たり前」と感じ、あなたは「なんか違う気がする」と感じる。

その微妙な感覚の違いが、実は一人一人の内側にある、オリジナルの感受性の現れなのではないでしょうか。

「腑に落ちない」ということは、あなたの中で問いが生き続けているということ。

完全に落ちる必要なんてない

すぐに答えが出る人は、そこで思考が終わる。「はい、解決」「はい、納得」「はい、次」。

でも腑に落ちない人は、その問いを抱えたまま歩き続ける。電車の中で、お風呂で、散歩しながら、なんとなくその感覚について考え続ける。

そして、ある日ふとした瞬間に「ああ、そういうことか」と、自分だけの答えに辿り着く。それは、誰かの受け売りではない、その人だけの発見。

完全に腑に落ちてしまったら、実はそこで何かが終わってしまう。「落ちきらない」からこそ、考え続ける余地がある。

違和感を大切にする勇気

みんなが「いいね!」と言っているものに、素直に同調できない自分。みんなが感動している時に、一人だけ「?」となってしまう自分。

その自分を否定する必要はないのかもしれません。

むしろ、その違和感こそが、あなたの個性の証拠。あなたにしか感じられない、微細な感覚の違い。

それは決して「理解力がない」とか「感受性が乏しい」ということではない。むしろ、他の人とは違う角度から物事を感じ取る、特別な感性なのかもしれません。

この「落ちなさ」を愛してみる

「腑に落ちるまでは行かない不思議な落ちなさ」

この感覚を、問題だと思わなくていい。

それは、あなたの感性が他の人とは少し違うということ。その違いを、大切にしてもいいのではないでしょうか。

落ちそうで落ちない。納得しそうでしない。分かりそうで分からない。

この宙ぶらりんの状態こそが、実はとても豊かな場所なのかもしれません。

おわりに:落ちきらないままでいい

すべてが腑に落ちる必要なんて、ない。

むしろ、落ちきらない部分があるからこそ、あなたはあなたでいられる。その「不思議な落ちなさ」こそが、他の誰でもない、あなただけの個性なのだから。

今度「なんか腑に落ちないなあ」と感じた時は、それを問題視するのではなく、少し愛してみてください。

その感覚こそが、あなたのオリジナリティの秘密なのですから。


P.S. この記事を読んで「うーん、なんか腑に落ちないなあ」と感じたとしたら、それはとても素晴らしいことです。その感覚を、大切にしてください。


※本記事は筆者の実体験を中心に構成しています。

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