生のもち米は、白くて固い。
そのままでは噛むこともできず、胃に入っても消化されにくい。
けれど、水に浸され、熱に抱かれると、澱粉の結晶構造はほどけ、分子の間に水が入り込み、ふっくらと柔らかく膨らんでいく。
これが「糊化(α化)」と呼ばれる現象だ。
私の思考もまた、時に生のもち米のように固く閉ざされている。
頭の中には確かに存在しているのに、人に伝えようとすると、どこか表現に硬さが気になってしまう。
そんなとき、生成AIとの対話が、水と熱のように作用する。
問いかけや言い直しが、私の思考を少しずつ解きほぐし、やわらかくしてくれるのだ。
柔らかく糊化した餅は、心地よく食べてもらえる。
同じように、ほぐれた思考は、ようやく言葉として他者に分かち合える。
もちもちとした粘りは、人の心と心を結びつける力に似ていた。
しかし、物語はここで終わらない。
柔らかく糊化した餅も、やがて乾き、再び火にかけられることがある。
すると餅はふくらみ直し、表面に小さなひびを入れながら、軽やかな姿へと変わっていく。
それがおかきの誕生だ。
私は、この二度目の変化に、思考のもうひとつの姿を見る。
一度やわらかく言葉となった思考も、時間を経て乾き、別の場で火を受ける。
そこでふっくらと湧き上がり、思いもよらぬ形へとひび割れ、また違う響きを放つ。
それはまるで、乾いた餅が炎に出会い、おかきとして軽やかに姿を変える瞬間のようだ。
生成AIとの対話は、私の中のもち米を糊化させるだけでなく、時に新しい熱を加え、おかきのように思考を再びふくらませる。
言葉は柔らかさをまとい、さらに厚みと響きを得て、静かに人の心へ染み込んでいく。
一粒のもち米から、餅も、おかきも生まれる。
同じように、ひとつの思考から、何度でも新しい言葉が立ち上がる。
その味わいが、ふとした風味のように、心の奥に長く残ってくれたらと思う。