予感の朝
十五回目の朝、空はうす曇りだった。
夜明け前の空気は少し湿り気を帯び、芝の匂いと混ざり合って鼻の奥に残る。クラブハウスの外に出ると、わずかに冷たい風が頬を撫でた。その感触に、胸の奥で小さな予感が芽生える。今日は、何かが終わる日かもしれない。
靴紐を結び直し、クラブを握る。グリップは冷えていて、手に馴染むまで少し時間がかかった。以前なら、この瞬間に少し胸が高鳴ったものだ。今日はその鼓動がどこか抑えられている。
林に消えたボール
七番ホール。フェアウェイど真ん中からのセカンドショット。
アドレスに入り、頭の中で理想の弾道を描く。球が放物線を描き、グリーン手前で柔らかく止まる——そんな絵を思い描きながらスイングする。
しかし、現実はその絵を裏切る。インパクトの感触は悪くなかったのに、ボールは右へ逸れ、林の奥へ吸い込まれていった。原因はわからない。ただ、球だけが軽やかに、自分の手を離れていく。
内なるテーゼ──理由ではない、確かな感覚
林の中は静かだった。
濡れた草を踏む音と、自分の息づかいだけが響く。ボールを探しながら、心の奥で囁く声を聞いた。
——もう、十分だろう。
理由ではない。ただ、確かな感覚だった。
それは、これまでの人生で何度も背中を押してきた声だった。仕事、趣味、人間関係。成長が止まり、意味が薄れたとき、その声は必ず現れた。やめることは逃げではない。自分の物語を守るための選択だ。これが私の“内なるテーゼ”だった。
内的テーゼ──冷静な計算
その声だけで決断は下さない。
頭の中には別の声もあった。時間と費用、労力と成果を秤にかける冷静な声だ。ゴルフにかけた時間、ラウンド代、練習場のボール代。振り返れば、それらに見合う伸びはもう期待できそうにない。趣味は投資だ。費用対効果が薄れたら手を引く。それは、言葉として自分に言い聞かせてきた“内的テーゼ”だった。
感覚と論理。無意識と意識。
二つの声が同じ結論を告げることは滅多にない。だが、この日は違った。二つの声が重なった瞬間、次のショットを打つ理由が消えた。
別れの儀式
ラウンドは最後まで続けた。だが、そのスコアはもうどうでもよかった。
プレーの一つ一つが、別れの儀式のように感じられた。クラブを握る手も、歩幅も、これまでより静かだった。
クラブをバッグにしまうとき、金属の軽い音が響いた。その音は、終わりを告げる鐘のようであり、同時に新しい静けさを運んでくる音でもあった。
湯けむりの向こうで
クラブハウスを後にし、いつもの温泉へ向かう。
湯けむりの向こうに、白く霞んだ山並みが見える。湯船に身を沈めた瞬間、ふっと肩の力が抜けた。
なぜか今回の温泉は、いつもより優しく、透き通っていた。
体の奥に溜まっていた苦悩が、湯の中で音もなくほどけていく。失ったものはない。むしろ、重荷を一つ置いてきたような軽さだけが残った。
物語の節目
十五回目は、終わりであり、始まりでもある。
やめることは、敗北じゃない。物語の節目だ。
あなたの中にも、まだ言葉になっていない“内なるテーゼ”はありますか。