AIと探した『余白の蓄積』の実例 – なぜジョブズが選ばれたのか

AIと探した余白の蓄積 - ジョブズのカリグラフィーから学ぶ創造性の法則
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余白の蓄積を実践した人物を探してみた

前回、「余白の蓄積」という記事を書いた後に少し考えていた。

過去にも、余白の蓄積を実践して成功した人がいると思い、AIにも聞いてみた。

「歴史上の人物で、一見無駄に見える知識を蓄積し、後に開花させた人は誰ですか?」と。

AIの答えは「スティーブ・ジョブズ」だった。

え?あのAppleの?ITの革命家が?

正直、もっと昔の偉人とか科学者などを予想していた。

なぜAIはジョブズを選んだのか

AIの説明はこうだった。

「1972年、大学を中退したジョブズは、実用性が全くないカリグラフィー(西洋書道)の授業に潜り込んで学んでいました。当時、本人も『何の役にも立たない』と認識していました。しかし、10年後の1984年、この知識が突然よみがえり、世界で初めて一般のユーザーの手に美しいタイポグラフィを届けたパーソナルコンピュータ、Macintoshの開発に繋がったのです。」と。

カリグラフィー?書道?コンピュータと最も遠そうな世界ではないか。

だからこそ「余白の蓄積」の完璧な例なのだとAIは続けた。

美しい文字との出会い – 無目的の純粋さ

調べてみると、当時のジョブズは相当に追い詰められていたようである。

大学を中退し、お金もなく、友人の家を転々としていた。週に一度、無料の食事をもらいに寺院まで何キロも歩いた。そんな状況で、なぜカリグラフィーだったのか?

「キャンパスのポスターが、あまりにも美しかったから」

それだけの理由だったらしい。就職に役立つわけでもない。お金になるわけでもない。将来コンピュータに活かすためでもない。ただ、心が動いた。美しいと感じたという訳である。

この「無目的の純粋さ」こそが、余白の本質だったのではないか。

ジョブズは戦略的に自己投資したのではなく、好奇心と美意識に従っただけのようだ。そして、10年後に誰も想像できなかった革新が生まれた。

10年後の開花 – 点と点が繋がる瞬間

1984年、コンピュータを開発していたジョブズの頭に、突然あの授業の記憶がよみがえった。

「すべてが戻ってきた」と後に語っているらしい。

当時のコンピュータの文字は機械的で味気なかった。おそらく、ジョブズには「美しい文字とは何か」という感覚が、10年間の余白として眠っていたのだろう。

その後、生まれたのが世界初の「文字が美しいコンピュータ」。Mac:Macintosh(マッキントッシュ))の登場である。

今、私たちが画面で見ている読みやすい文字。それは、あの授業との「出会い」から始まったのか。

AIが見つけた余白の法則

AIとの対話を続けると、興味深いパターンも見えてきた。

ジョブズが示した3つの法則

  1. 無目的の純粋性
    「役に立つから」ではなく「美しいから」学んだ。この無目的性が創造の源泉になった。計画された学習では決して生まれない、予測不可能な革新がここから生まれる。
  2. 10年という発酵期間
    すぐに使おうとしなかった。というより、使い道がなかった。10年寝かせたことで、知識が熟成し、全く別の形で開花した。
  3. 最遠距離の結合
    カリグラフィーとコンピュータ。最も遠い分野が結びついた時、誰も真似できない独創性が生まれた。

ジョブズ自身、2005年のスタンフォード大学卒業式でこう語っている。 「前を向いている時は点を繋げない。後から振り返って初めて繋がりが見える。だから、いつか繋がると信じるしかない」

これは、まだAIには決して真似できない、人間だけの創造プロセスだと思う。

AIとの対話で気づいたこと

今回の探求で面白かったのは、AIが単に情報を提供するだけでなく、「なぜそれが余白の蓄積なのか」を一緒に考えてくれたことである。

私:「ジョブズは天才だから特別では?」 AI:「いいえ、同じパターンは多くの人に見られます。」

私:「10年は長すぎない?」 AI:「現代ならAIが触媒となって、もっと早く繋がるかもしれません。」

このやりとりで、過去の学びについて振り返ってみた。

私自身、過去に読んだドラッカーや自己啓発本は、「将来AIと対話するため」に読んだわけではなかった。しかし今、これまでの蓄積がAIとの共創で思いがけない価値を生んでいる。

ジョブズがカリグラフィーを学んだ時、Macintoshを想像していなかったように、私も生成AIの時代を予想していなかった。

これこそが「無目的の価値」。計画できない創造性の源泉なのだと実感している。

私もAIと余白探しを続けてみたい

今回、AIと一緒にジョブズの余白を発見したが、これは一つの例に過ぎない。

きっと誰にでも、余白として蓄積されているものがあると思う。

  • 昔夢中になった趣味
  • なぜか捨てられない知識
  • 「無駄」と言われても続けていること

今後もAIと対話しながら、自分の中に眠る余白を探してみたいと思う。「これって、将来何かに繋がるのだろうか?」と問いかけながら。

AIは予言者ではないが、余白同士を繋ぐ手伝いはしてくれている。ジョブズのカリグラフィーのように、思いもよらない繋がりを見せてくれるかもしれない。

おわりに – 余白の蓄積は続いている

AIに聞いて良かったと思う。

ジョブズの例は、「余白の蓄積」が単なる理想論ではなく、歴史的事実であることを教えてくれた。そして、AIとの対話自体が、新しい形の余白の蓄積になることも分かった。

今、この記事を読んでいる人も、きっとすでに余白を蓄積しているはず。

それがいつ、どんな形で開花するかは分からないが、確実に言えることがある。

無駄に見える学びこそ、未来のあなたを作ると。

私も、AIと一緒に、自分の余白を探し続けている途中である。


※本記事はAIとの対話を基に、筆者独自の視点で再構成したものです。

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